一億総箱男社会
皆さんは「箱男」という小説をご存知だろうか。体の上半身を包めるほどのダンボール箱を頭からかぶり、のぞき穴から外の世界を見ながら都市をさまよう男の顛末を描いた安部公房の長編小説である。
箱男になるということ、それは外の世界からの隔絶を意味する。箱の中にいれば外にいる他者には自分の姿を知られることがない。そのような安全な状況にいながら、自分だけはのぞき穴から外の世界、無防備な他者の姿を一方的に見ることができる。この箱男の持つ甘美な優位性に小説の主人公<ぼく>は翻弄されてゆく。
「箱男」が発表されたのは1973年であるが、箱男が象徴している問題は現代人にも適用される。むしろ問題はさらに深刻化していると言っていい。マスクをしている人間の一部は風邪の予防ではなく自分の顔を隠すためにつけているだろう。箱男ならぬマスク男(女)は日本中を闊歩している。さらに現代日本では大多数の人が電子掲示板やSNS等で自分の意見を発信している。その匿名性を利用し、過激な発言や、誹謗中傷、炎上行為に加担するなど、モラルに欠けた行為がネットに蔓延しているのが現代社会の実情である。匿名性という箱をかぶり、のぞき穴から不可逆的に発言、他者を攻撃するさまは、まさに箱男そのものといえるだろう。
しかし、匿名性に過信していると、思はぬ反撃を他者から受けることもある。過激発言を繰り返し等により一度目をつけられたが最後、今度は自分が非難の対象となり、個人情報が特定され箱を剥がされてしまうのだ。安全な箱の中で他人を窃視していたはずがいつのまにか窃視される側に回ってしまう。「追う」/「追われるもの」の関係性の逆転が日夜世界中で行われている。
そして世界はますます不条理と化してゆく。