北大理系大院生の研究生活

大学生・院生向けの有益情報(研究・お金)の提供、研究日記、読んだ本の紹介。

大学院は教育機関ではなく研究機関だという話

私は今年の四月から大学院の修士課程に進学する。研究室は学部のときと同じなので周りのメンバーが変わることもない。そのメンバーの中で来年卒業できるか怪しいM2の先輩がいる。その人は研究が好きでもなく、興味があるわけでもないのに周りが進学するから、就職が良くなるからという漠然とした理由で修士課程に進学したらしい。そしてその選択は間違いだった。今では研究室に来るのが苦痛だとも言っていた。私は以上のような先輩の愚痴を聞いていて、人生の岐路の選択を周りに流されるままに決定した浅薄さに呆れつつも、先輩のような状況が起こってしまったことの原因は先輩個人のみにあるのではなく、今の日本社会の就職事情と、大学生の大学という機関の存在意義に対する誤認にあるのではないかと思った。就職事情に関しては、理系大学生、特に国立大生は修士課程を卒業していなければ業種が狭まり、就職に不利になるという風潮がある。実際に四季報を読んで貰えればわかるのだが理系技術職、研究開発職で採用されているのはほとんどが院卒である。

 また、企業だけでなく、一般人の認識としても、大学は中学、高校と同じような教育機関だと捉えているのが大部分なのではないだろうか。もちろん、そういう側面もあるだろう。特に学部の間では講義を受けることが学生のやるべきことであり、研究を開始するのは、多くが四年生になってからである。しかし、大学院になると話は変わり、教育機関としての側面よりも、研究機関としての側面が強くなる。講義数も学部の頃よりも大幅に減り、一日の殆どを研究室で過ごし、研究に没頭しなければならない。これは、学部では講義を受け勉強するという受動的態度でよかったが、大学院では自らの頭で思考し、自発的に研究に取り組むという能動的行動が求められるということを意味する。当然、研究に興味のない人間や主体的行動を取れない人間が修士課程に進学すれば、齟齬が生じ、先輩のような悲劇が生まれることになってしまう。

 そのようなことが今後起こらないようにするためにも、大学院が研究機関であり、研究が勉強とどのように異なるのかということを学部生および保護者方に周知する必要があるだろう。